2010年6月13日日曜日

第一次核危機との酷似点

北朝鮮核問題:Wikipedia

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北朝鮮核問題への各国の反応

政治潮流
自由民主党経世会の小沢一郎が党を割って細川連立政権を作ったのが1993年であり、1994年の第一次核危機のときは、政治的混乱の真っ只中であった。当時の外相・首相を務めたのは小沢と行動をともにしていた羽田孜であり、彼はソウル市民の避難と核施設空爆を主張することができず、金大中に押し切られて、94年枠組み合意を支持してしまった。また、2002年秋に北朝鮮より5人の拉致被害者を帰国させることに成功したものの、核問題と拉致問題により日朝関係は悪化した。

安保不感症
また、日本の政界では軍事・安全保障は「票にならない」と認識されており、政治家一般に安保問題への関心は高いとはいえない。知識を有しているのは石破茂議員・前原誠司議員など一部に限られ、軍歴・軍事知識のある議員の数が米国より圧倒的に少ない。そのため、北朝鮮核問題も日本に100-200基もの核ミサイルが向けられ数百万人から数千万人の国民生命の脅威になりかねない状況という認識が欠落しており、60年の平和に馴れたために戦争を現実の脅威として認識できず、数百万-数千万の国民生命にかかわる核問題より数十人の拉致問題が優先されかねない政治風土で、それが日本の安全保障政策を迷走させている。
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歴史は、同じ轍は踏まないが韻を踏むという。
首相は交代したが、国民の関心は内政に向けられている?

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